旅の終わりに辿り着いた場所・尾高忠明&札響シベリウス全曲シリーズ最終章~二夜連続サントリーホール2
サントリーホールにおける2夜連続なモニュメンタルなコンサートの記録。第2弾。
2月17日(火)
<ホクレン・クラシック・スペシャル2015>
シベリウス交響曲全曲シリーズ(最終章)
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 op.82
交響曲第6番 ニ短調 op.104
交響曲第7番 ハ長調 op.105
尾高忠明指揮、札幌交響楽団
@ サントリーホール 大ホール
尾高忠明さん&札幌交響楽団が3年をかけて取り組んできた「シベリウス交響曲全曲演奏会」(並行してCD全集もリリース)も、シベリウス生誕150年の今年、いよいよ最終章。
尾高さんは、3月末に音楽監督の任期満了を迎えるので、これまでの総決算としての意味もあり、こちらもいろいろな意味でモニュメンタルな演奏会。
昨日はあたたかな快晴だったが、一点、この日は、雪。
すぐに雨に変わったが、冷たい一日。絶好のシベリウス日和?
札響&尾高さんが、北の国から、十八番の極上のシベリウスの音楽を届けてくれた。
札響を生で聴くのは初めて。
北の大地・北海道ならではのひんやりとした響き・・・・、
・・・・などと書くと思ったら大まちがい。
尾高さんを始めとする名指揮者のもとで、長年北欧音楽を演奏し続けてきたこともあって、多少涼しげな趣はあるものの、むしろ北海道の広大な大地を思わせるたくましい響きと言えるだろう。
一つ一つの楽器の音色がくっきりと際立ち、どちらかというと爆演系。昔よく聴いていた大フィルを彷彿とさせる。
でも、それらの個性的とも言える一人一人の奏者がきっちりと丁寧に音を鳴らし、重なりあい、一つに溶け合うと、しっかりとあのシベリウス特有の魅力的な音色になる。
そのブレンドぐあいが見事。たまらない。よほど訓練し、かつ経験を積んできたのだろう。
そんなオケだから、まずはじめの5番が、力にあふれ、聴き応えのある名演だった。
すっかり言い古された「北欧のさわやかな自然」などという常套句など、どこかに吹き飛んでしまうような、魂のこもった熱演。
始まりこそ、確かに北欧の自然の大きな息づかいが感じられたかもしれないが、やがてはそれらのすべてを呑みこむ巨大なエネルギーの渦が巻き起こり、聴く者の魂は、その真ん中を貫いて、どこまでもどこまでも飛翔してゆくことになる。まるで途方も無く長い旅をしているような充実感。
難しい最後の終結和音も見事に決まり、大満足、会場も熱狂的な拍手。
拍手しながら、ぼんやりと、この後6番と7番を聴くのか、もうどんな音楽も必要ないくらいだ・・・・、などと思ったくらいだが・・・・、
15分の休憩後に始まった6番が、(考えてみれば当然のことながら)
またすごかった!
書きたいことは山ほどあるけれど、長くなるのでポイントだけ。
あの「美しすぎる両端楽章」(これらはこの世で最も美しい音楽(の一つ)だろう)に挟まれてふだんはあまり目立たない二つの中間楽章をじっくりと堪能できたのが大収穫だった。
この二つの楽章こそ、シベリウスならではの音色ブレンドの妙が最大限に発揮されている楽章。つまりは、前述したこのオケの特質も最大限に生かされる、いわば独壇場。
しかも、この夜のわたしの席は、オケの真横、指揮者の正面の姿も含め、オケ全体を俯瞰できる位置だったので、CDで聴いているだけだとほとんど見当もつかない不思議な音色の秘密が手に取るようにわかって、とにかくおもしろかった。
もちろん、最終楽章の超絶的な美しさも絶品。
わたしはかつて、北欧のオーロラの下、ならぬ、モルディブの小さな島の、満点の星空の下でこの曲を聴いたことがあり、この時のことは今でも決して忘れることのできない音楽体験になっているが、
その時の、実際のインド洋のビーチ=宇宙の渚みたいな、夢とも現ともつかぬ光景が、しっかりと甦った。
先ほど5番の「旅」が終わった時には、この上、どこに行くというんだ、と思ったものだが、
続く6番で、さらにとんでもないところにまで来てしまった。
そして・・・・、
再び休憩の後(今度は10分)、ラストの7番。
「旅」の行きつくところ。
ここまでくると、もう是が非でも7番を聴かないわけにはいかなくなっている。
この7番は、3年わたる札響&尾高さんのシリーズの最後、それこそ長い旅の終着点でもあるのだ。
もう細かい言葉はいらない。
先ほどから「旅」という言葉を使っているが、これまでも何度も書いてきたように、わたしにとってのシベリウスの一番の魅力は、まるで大空、さらには宇宙を旅しているような飛行感、しかも、例えようも無く孤独でハードボイルドな飛行感に他ならない。
そんなシベリウスの醍醐味、独特の飛行感、浮遊感がここに来て炸裂!
冒頭と終結部のこの世のものとも思えぬ壮麗さもよかったが、中間部の、異次元空間の森羅万象がざわめきわたるような部分や、果てしない無重力空間を駆け巡るような部分の表現も、それと同じくらい印象的だった。
圧倒的な曲、そして演奏。
生まれて初めて、シベリウスの所謂後期交響曲、5番、6番、7番を生で続けて聴いた。
なかなかふつうではあり得ない、貴重な体験だったと思うが、まちがいなく、曲、演奏ともに、番号が進むにつれて、どんどん凄みを増してゆくのがわかった。
こうして実際に聴いてみて、初めて感じられたこと。
交響曲5番、6番、7番、
正に、一連なりの、長い長い旅のようだと思った。
高みへ、ただひたすら高みへ、やわらかで美しい光に満たされた、何人たりともたどり着いたことのない孤高の場所へと、飛翔を続ける孤独な旅。
そして、最後にたどり着いた処の、何と壮麗で静謐なことか!
札響&尾高さんは、長い旅の果てについにそこまでたどり着いた。わたしたちをそこまで連れて行ってくれた。
その前篇である1~4番を、聴き逃していたわたしはバカだ。
7番終了後の大拍手の中、まさかこれで終わりだろう、と思っていたが、
尾高さん、いきなり指揮台に立つと、アンダンテ・フェスティーヴォを始めた。
長い旅の終わりをかみしめるかのように・・・・。
以上、すばらしい体験でしたが、
疲れた。
物理的長さこそ異なれど、ブルックナーの後期3曲をぶっ続けで聴くようなもの。
ブルックナーよりは多様なので、まだよいか。
逆に、演奏する方が大変だったろう。
それぞれの曲、それぞれが音楽の至宝みたいなかけがえのない3曲を、よくぞここまで見事に演奏しきったと思う。
シベリウス交響曲全曲演奏完遂!
ほんとうにおめでとうございます。そして、ありがとう。
結局、すでに十分に寒いので、北の冷たい大気などは届けてくれなくても大丈夫、むしろ心があたたかくなるような熱演ですばらしかった、というオチでした。
今年は、シベリウス・イヤー。
この他にも、注目すべき演奏会(中には全曲演奏会!も)が目白押し。
この秋には、ちがう指揮者&楽団で、再び今回と同じ5、6、7番の旅に出る予定。
楽しみ。
▽ パンフとホクレンさんからいただいた北海道のお砂糖。
左のボールペンは、記念に購入した札響オリジナルボールペン。
▽ 「旅」の前半、1番~4番。
今となってはもう、CDで聴くしか無いけれど、遅ればせながら聴いていきたいと思います。
現在、第1番~3番リリース済み。
早速、会場で第1番&第3番のアルバムを購入。
前回の藤村さんのCDと同じく、こちらも fontecレーベル。
がんばれ!fontec!
最後に、一言だけ。
最近、クラシックのコンサートにおいて、あまりにもフライング拍手&歓声がひどいような気がする。
特に今回のコンサートは、曲がすべて極めてデリケートに終わるものばかりだったので、それが目立ってしまった。
最もかんじんのクライマックスである7番の最後にも、まぬけなフライングがあり、さらにその直後だというのに、続くアンコールのアンダンテ・フェスティーヴォでも、指揮者の手が上がったままの状態、音が消えないうちの一部のフライング拍手。
自分がいかに音楽に感動したかをアピールしたいんだろうけど、音楽の「途中」では、お願いだから我慢してください。
このシベリウスのような曲の場合、音が完全に消え去り、指揮者が手を下ろすまでは、音楽は続いているのです。指揮者自身はもちろん、演奏者も、そして心から感動して聴いている聴衆みんなも、まだ「音楽」の中にいるのです。
何か叫びたいんだったら、勝手に心の中で叫んでください。もしそれができないのなら、家で自分の好きなCDでも聴いて、好きなだけ叫んでください。
でも、幸い今回は、指揮者も、演奏者も、そして大部分の聴衆も、その「音楽」の真の感動を、まったく邪魔されることは無かったと思う。
そんなつまらないことにはまったく動じることが無いくらい、感動が大きかった、ということ。
サントリーホールに到着するまでに通りかかった、おいしそうなものがたくさん並んでいる通り。

でも、結局、いつものトップスのカレーで腹ごしらえをして、コンサートにのぞんだ。
2月17日(火)
<ホクレン・クラシック・スペシャル2015>
シベリウス交響曲全曲シリーズ(最終章)
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 op.82
交響曲第6番 ニ短調 op.104
交響曲第7番 ハ長調 op.105
尾高忠明指揮、札幌交響楽団
@ サントリーホール 大ホール
尾高忠明さん&札幌交響楽団が3年をかけて取り組んできた「シベリウス交響曲全曲演奏会」(並行してCD全集もリリース)も、シベリウス生誕150年の今年、いよいよ最終章。
尾高さんは、3月末に音楽監督の任期満了を迎えるので、これまでの総決算としての意味もあり、こちらもいろいろな意味でモニュメンタルな演奏会。
昨日はあたたかな快晴だったが、一点、この日は、雪。
すぐに雨に変わったが、冷たい一日。絶好のシベリウス日和?
札響&尾高さんが、北の国から、十八番の極上のシベリウスの音楽を届けてくれた。
札響を生で聴くのは初めて。
北の大地・北海道ならではのひんやりとした響き・・・・、
・・・・などと書くと思ったら大まちがい。
尾高さんを始めとする名指揮者のもとで、長年北欧音楽を演奏し続けてきたこともあって、多少涼しげな趣はあるものの、むしろ北海道の広大な大地を思わせるたくましい響きと言えるだろう。
一つ一つの楽器の音色がくっきりと際立ち、どちらかというと爆演系。昔よく聴いていた大フィルを彷彿とさせる。
でも、それらの個性的とも言える一人一人の奏者がきっちりと丁寧に音を鳴らし、重なりあい、一つに溶け合うと、しっかりとあのシベリウス特有の魅力的な音色になる。
そのブレンドぐあいが見事。たまらない。よほど訓練し、かつ経験を積んできたのだろう。
そんなオケだから、まずはじめの5番が、力にあふれ、聴き応えのある名演だった。
すっかり言い古された「北欧のさわやかな自然」などという常套句など、どこかに吹き飛んでしまうような、魂のこもった熱演。
始まりこそ、確かに北欧の自然の大きな息づかいが感じられたかもしれないが、やがてはそれらのすべてを呑みこむ巨大なエネルギーの渦が巻き起こり、聴く者の魂は、その真ん中を貫いて、どこまでもどこまでも飛翔してゆくことになる。まるで途方も無く長い旅をしているような充実感。
難しい最後の終結和音も見事に決まり、大満足、会場も熱狂的な拍手。
拍手しながら、ぼんやりと、この後6番と7番を聴くのか、もうどんな音楽も必要ないくらいだ・・・・、などと思ったくらいだが・・・・、
15分の休憩後に始まった6番が、(考えてみれば当然のことながら)
またすごかった!
書きたいことは山ほどあるけれど、長くなるのでポイントだけ。
あの「美しすぎる両端楽章」(これらはこの世で最も美しい音楽(の一つ)だろう)に挟まれてふだんはあまり目立たない二つの中間楽章をじっくりと堪能できたのが大収穫だった。
この二つの楽章こそ、シベリウスならではの音色ブレンドの妙が最大限に発揮されている楽章。つまりは、前述したこのオケの特質も最大限に生かされる、いわば独壇場。
しかも、この夜のわたしの席は、オケの真横、指揮者の正面の姿も含め、オケ全体を俯瞰できる位置だったので、CDで聴いているだけだとほとんど見当もつかない不思議な音色の秘密が手に取るようにわかって、とにかくおもしろかった。
もちろん、最終楽章の超絶的な美しさも絶品。
わたしはかつて、北欧のオーロラの下、ならぬ、モルディブの小さな島の、満点の星空の下でこの曲を聴いたことがあり、この時のことは今でも決して忘れることのできない音楽体験になっているが、
その時の、実際のインド洋のビーチ=宇宙の渚みたいな、夢とも現ともつかぬ光景が、しっかりと甦った。
先ほど5番の「旅」が終わった時には、この上、どこに行くというんだ、と思ったものだが、
続く6番で、さらにとんでもないところにまで来てしまった。
そして・・・・、
再び休憩の後(今度は10分)、ラストの7番。
「旅」の行きつくところ。
ここまでくると、もう是が非でも7番を聴かないわけにはいかなくなっている。
この7番は、3年わたる札響&尾高さんのシリーズの最後、それこそ長い旅の終着点でもあるのだ。
もう細かい言葉はいらない。
先ほどから「旅」という言葉を使っているが、これまでも何度も書いてきたように、わたしにとってのシベリウスの一番の魅力は、まるで大空、さらには宇宙を旅しているような飛行感、しかも、例えようも無く孤独でハードボイルドな飛行感に他ならない。
そんなシベリウスの醍醐味、独特の飛行感、浮遊感がここに来て炸裂!
冒頭と終結部のこの世のものとも思えぬ壮麗さもよかったが、中間部の、異次元空間の森羅万象がざわめきわたるような部分や、果てしない無重力空間を駆け巡るような部分の表現も、それと同じくらい印象的だった。
圧倒的な曲、そして演奏。
生まれて初めて、シベリウスの所謂後期交響曲、5番、6番、7番を生で続けて聴いた。
なかなかふつうではあり得ない、貴重な体験だったと思うが、まちがいなく、曲、演奏ともに、番号が進むにつれて、どんどん凄みを増してゆくのがわかった。
こうして実際に聴いてみて、初めて感じられたこと。
交響曲5番、6番、7番、
正に、一連なりの、長い長い旅のようだと思った。
高みへ、ただひたすら高みへ、やわらかで美しい光に満たされた、何人たりともたどり着いたことのない孤高の場所へと、飛翔を続ける孤独な旅。
そして、最後にたどり着いた処の、何と壮麗で静謐なことか!
札響&尾高さんは、長い旅の果てについにそこまでたどり着いた。わたしたちをそこまで連れて行ってくれた。
その前篇である1~4番を、聴き逃していたわたしはバカだ。
7番終了後の大拍手の中、まさかこれで終わりだろう、と思っていたが、
尾高さん、いきなり指揮台に立つと、アンダンテ・フェスティーヴォを始めた。
長い旅の終わりをかみしめるかのように・・・・。
以上、すばらしい体験でしたが、
疲れた。
物理的長さこそ異なれど、ブルックナーの後期3曲をぶっ続けで聴くようなもの。
ブルックナーよりは多様なので、まだよいか。
逆に、演奏する方が大変だったろう。
それぞれの曲、それぞれが音楽の至宝みたいなかけがえのない3曲を、よくぞここまで見事に演奏しきったと思う。
シベリウス交響曲全曲演奏完遂!
ほんとうにおめでとうございます。そして、ありがとう。
結局、すでに十分に寒いので、北の冷たい大気などは届けてくれなくても大丈夫、むしろ心があたたかくなるような熱演ですばらしかった、というオチでした。
今年は、シベリウス・イヤー。
この他にも、注目すべき演奏会(中には全曲演奏会!も)が目白押し。
この秋には、ちがう指揮者&楽団で、再び今回と同じ5、6、7番の旅に出る予定。
楽しみ。
▽ パンフとホクレンさんからいただいた北海道のお砂糖。
左のボールペンは、記念に購入した札響オリジナルボールペン。
▽ 「旅」の前半、1番~4番。
今となってはもう、CDで聴くしか無いけれど、遅ればせながら聴いていきたいと思います。
現在、第1番~3番リリース済み。
早速、会場で第1番&第3番のアルバムを購入。
前回の藤村さんのCDと同じく、こちらも fontecレーベル。
がんばれ!fontec!
最後に、一言だけ。
最近、クラシックのコンサートにおいて、あまりにもフライング拍手&歓声がひどいような気がする。
特に今回のコンサートは、曲がすべて極めてデリケートに終わるものばかりだったので、それが目立ってしまった。
最もかんじんのクライマックスである7番の最後にも、まぬけなフライングがあり、さらにその直後だというのに、続くアンコールのアンダンテ・フェスティーヴォでも、指揮者の手が上がったままの状態、音が消えないうちの一部のフライング拍手。
自分がいかに音楽に感動したかをアピールしたいんだろうけど、音楽の「途中」では、お願いだから我慢してください。
このシベリウスのような曲の場合、音が完全に消え去り、指揮者が手を下ろすまでは、音楽は続いているのです。指揮者自身はもちろん、演奏者も、そして心から感動して聴いている聴衆みんなも、まだ「音楽」の中にいるのです。
何か叫びたいんだったら、勝手に心の中で叫んでください。もしそれができないのなら、家で自分の好きなCDでも聴いて、好きなだけ叫んでください。
でも、幸い今回は、指揮者も、演奏者も、そして大部分の聴衆も、その「音楽」の真の感動を、まったく邪魔されることは無かったと思う。
そんなつまらないことにはまったく動じることが無いくらい、感動が大きかった、ということ。
サントリーホールに到着するまでに通りかかった、おいしそうなものがたくさん並んでいる通り。

でも、結局、いつものトップスのカレーで腹ごしらえをして、コンサートにのぞんだ。






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